若宮八幡社の敷地北東に昭和34年住吉町の氏子たちの寄進にて「産宮住吉神社」が造営され、我が国最も古いといわれるからくり人形9体が御神体として祭られております。
若宮八幡社の敷地北東に昭和34年住吉町の氏子たちの寄進にて「産宮住吉神社」が造営され、
我が国最も古いといわれるからくり人形9体が御神体として祭られております。
昭和20年の名古屋大空襲時に境内にあった住吉町の蔵(現存)が山車「河水車」を戦火から救われ、
山車は東区出来町中之切にて保存活用、からくり人形などは社新設に伴い御神体として移管しております。
旧住吉町の山車は、延宝2年(1674)に建造された産宮参車(うぶみやまいり)が最初です。
その古図によると、上段に社壇を設け、その前面に神主・神子・乳母・小児・丁稚の、5体の人形を配置しています。
その後、宝暦11年(1761)に能楽「菊慈童」の人形に変更されました。
住吉神社(旧住吉町所管)・社壇に安置される9体の人形頭の内、5体は複数の絵画資料が存在する事もあり、
すでに高い史料性を示す文化財であり、また残りの4体についても、今後の精密な調査を加えれば、
同じく重要な文化遺産である可能性が高いと判断されます。
<若宮八幡社のパワースポット>名古屋城築城以前、若宮八幡社は城内にありましたが、
築城に伴って現在の地へ移され、寛文11年(1671)から御神事が再興されました。
現在は毎年5月15-16日例祭開催されています。
当初は傘鉾(末広町)や獅子頭(矢場町)など、各氏子町内から多くの警固を出して、
三の丸天王社へ神輿渡御を行う御祭礼として始まりましたが、
延宝年間(1673〜1680)には末広町・門前町・中須賀町・住吉町・玉屋町・大久保見町などから華麗な山車が曳き出され、
最盛期には7輌の山車が本町通りを行き来しました。明治時代に隆盛した鉄砲町と住吉町のみが山車の蔵を境内に建設、
また、それぞれの町の神を祭っております。境内のパワースポットとして、社殿めぐりと歴史由来をお楽しみ下さい。